2015年12月30日水曜日

反日はどこからくるの

反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。

背景に中国国内における江沢民告訴――中国で入国拒否されたミス・カナダ
ミス・カナダアナスタシア・リン

遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)

 中国海南島で開かれたミス・ワールド世界大会に出場しようとしたカナダ代表リンさんが入国を拒否された。その背景には今年5月に改正された行政訴訟法と、それに基づいて中国国内で告訴された江沢民の問題がある。

入国拒否されたミス・カナダのアナスタシア・リン  中国系カナダ人のアナスタシア・リンさんは、12月19日に中国の海南島三亜市で開催されるミス・ワールド世界大会に参加するため中国に入国しようとし た。ところが駐カナダの中国大使館はリンさんのビザを発給することを拒否した。そこで香港経由で中国入国を試みるため中国政府の特別行政区で入国要件が異 なる香港に行った。それでも中国大陸への入国は拒否されてしまった。

 理由は、彼女が中国における人権問題に関して活動しているからだ。

 中国出身のリンさんは13歳のとき、父親と離婚した母親とともにカナダへ移住。トロント大学で演劇を学び、在学中から中国の人権問題をあつかう映画やテレビ番組に出演してきた。カナダ映画『最前線(原題:The Bleeding Edge)』で、リンさんは収監される法輪功学習者を演じている。今年7月には米議会の公聴会で、法輪功学習者に対する中国政府による迫害や臓器狩りの実態について証言したこともある。

 そこで彼女は香港で記者会見を開催し、「拷問で大半の歯を失った人権弁護士・高智晟氏が歯医者にさえいけないのはなぜか。臓器移植ドナーと死刑執行の数を合わせても数万件の移植手術件数に満たないのはなぜか。自国民に検閲のない情報を見ることを許さないのはなぜか。中国政府に聞きたい」(「大紀元」)など、中国の人権問題と言論弾圧に関心を向けるように訴えた。

法輪功学習者による江沢民告訴と新「行政訴訟法」 昨年11月1日、第12回全国人民代表大会常務委員会第11次会議で決議された「中華人民共和国行政訴訟法の修改正」は、今年5月1日から「新行政訴訟法」として施行されている。

  これまでの訴訟法では、多くの人民からの訴えを訴訟として受理することが少なく、もっぱら「上訪」(サン・ファン)という陳情者の受付箱や受付窓口で処理 することが多かった。処理すると言っても、陳情書を受け取るだけ受け取ってゴミ箱に捨てるか、陳情を聞くだけ聞いて無視する、あるいは追い払うという情況 がほとんどだ。最近はインターネットを通して「上訪」ボックスに投稿するケースも見られる。特に法輪功学習者が訴えた場合は、それを受理しないどころか、 必ず逮捕され、拷問や生きたままの(第三者への移植のための)臓器摘出などにより死に至る者が多かった。

 しかし、習近平政権は反腐敗運動を展開するに当たり、「依法治国」(法によって国を治める)を政権スローガンの一つにしている。中国政府に対する暴動やデモは、大小合わせると年間18万件に 上ると清華大学の教授は計算して出しているくらいだ。これを放置すれば、反政府暴動が本格化するのは時間の問題だろう。特に悪化する一方の大気汚染は、貧 富の別なく、すべての中国人民を「息ができない」現状に追い込み、環境汚染をここまで放置して利益ばかりを追及してきた党幹部への不満は限界に達してい る。

 そこで暴動やデモへと走らずに、「法に訴える」手段を、すべての人民に与えるという決定をして「新行政訴訟法」を発布したのである。

 同法の第3条には、「人民法院は、公民、法人およびその他の組織が起訴する権利を保障すべきで、法により受理すべき行政案件を受理しなければならない」とある。中国語では「有案必立、有訴必理」と称する。

 また司法解釈では「基礎条件を満たす場合、全ての訴訟申し立てを受理しなければならない。その場で受理可能か否かを判断できない場合は、訴状を受け取ったあと7日以内に回答しなければならない」としている。

 この瞬間、歓喜の声が人民の間に走った。一気に40万件の訴訟案件が人民法院に集まり、今年5月だけで受理数の増加率は221%に上っている。

 中でも最も俊敏にして顕著な動きを見せたのは法輪功学習者たちだ。

  江沢民元国家主席により1999年6月10日から激しい迫害を受けてきた法輪功学習者たちは、中国全土で競って江沢民を告訴する運動を起こし、いま現在、 法輪功学習者の直接の被害者が原告となって中国の最高人民検察院(最高検察庁)や最高人民法院(最高裁判所)に告訴した原告の数は中国国内で20万人に達 しているという。また被害者に同情して署名活動をし告発状を最高人民検察院や最高人民法院に送った数は、それぞれ38万8千人分(最高人民検察院)および 32万2千人分(最高人民法院)となっているとのこと。このデータは配達証明などにより確認された数字であることを、筆者は直接、法輪功関係者から聞き 取った。かれらによれば、さらに国外からの原告の人数も合わせれば、百万人に達しているという。

 中国の司法当局は、この江沢民告訴や告発に関して、7日以内に「受理せず」という通達を出していない。

 新「行政訴訟法」によれば、受理しないためのよほど正当な理由がない限り、受理しなかった責任者は責任を問われることになっているからだ。

  すでに牢獄にいる薄熙来や周永康らは、この法輪功迫害に関して協力した見返りに江沢民から多くの恩恵を受けて出世した連中だ(薄熙来と法輪功の関係に関し ては『チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男』に、周永康と法輪功の関係に関しては『中国人が選んだワースト中国人番付 やはり紅い中国は腐敗で滅 ぶ』に詳述した)。

 法輪功学習者らの行動は、習近平政権にとって、ある意味、腐敗の頂点に立つ江沢民に一定の圧力を掛ける効果を持つ。一方では今年11月1日から施行されている「中華人民共和国刑法修正案」では、法輪功に対する処罰を、改正前よりも厳しくしている。

  つまり習近平政権にとっては、中国政府に対する国内のさまざまな不満要素のはけ口は創ってやり、法輪功学習者の告訴により江沢民を結果的に窮地に追いやり はするが、かと言って、「精神的な力」を持ち得る法輪功が幅を利かせては困るので、あくまでも邪教として徹底的に取り締るということなのである。
カナダのアナスタシア・リンさんの入国拒否は、この線上にあったと言っていいだろう。

江沢民を「生かさず、殺さず」 なんと言っても江沢民は神聖なる中国共産党の「党章(党規約)」に名前が載っている元中国共産党中央委員会総書記であり元中央軍事委員会主席であり、元国家主席だ。そのような人物を逮捕などしたら、中国共産党の権威に傷がつく。一党支配体制の正当性にも動揺をもたらす。

 おまけに習近平が現在の地位を獲得できたのは、ひとえに江沢民とその大番頭だった曽慶紅のお蔭だ。

 こうした諸々の原因があり、習近平国家主席としては、決して「江沢民逮捕」などという事態には持っていけない。

 おまけに江沢民の腹心は曽慶紅以外すべて投獄されているので、江沢民には彼のために動いてくれる部下がすでにいない。
だから、このまま放っておけばいいのだが、まだ江沢民の息子・江綿恒が綱渡りをしながら生きている。その孫も、チャイナ・セブン(習近平政権の中共中央政治局常務委員7人)の党内序列ナンバー5の劉雲山の息子と結託しながら、まだ「商売」に励んでいる。

 油断はできない。

  そこで江沢民を「生かさず、殺さず」の状態に置きながら、プレッシャーも与えつつ、かつ法輪功が活躍する余地はもぎ取っておくというのが、習近平の魂胆 だ。法輪功は何よりも「精神的力」で横につながっている。中国政府にとって、これほど好ましくない存在はない。金で心を買うことはできても、尊厳は買えな いからだ。

 筆者は法輪功の運動に関しては全くの中立だ。

 しかしかつて法輪功学習者が増えたのは、中国の医療制度が充実していないために、健康を保つ目的で気功を始めたのが原因だったことは確かだ とみなしている。改革開放により、それまで国家によって守られていた「揺りかごから墓場まで」の生涯保障制度は崩れ、その一方で近代国家としての医療制度 の充実も進まない時期が長く続いた。気功を通して健康を保とうという動きはまたたく間に中国全土に広がった。中南海の中にも学習者がいた。問題は、気功の 修練の中には「精神の安定」や「自由な精神の拠り所」を求めるという出発点があるということだ。これは中国共産党が「信仰」として強要している社会主義の 核心的価値観と相いれないという要素を持っているだけでなく、「精神的に横につながると反政府運動になる危険性を持っている」という警戒心から弾圧を始めたという事実は認識しておいた方がいいだろう。

(その中には法輪功に同情的だった当時の朱鎔基首相に対する江沢民の激しい嫉妬という「中南海内の闘い」も含まれているが、話が長くなるので、ここでは省く。)

遠藤 誉
1941 年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会科学研究所客 員研究員・教授などを歴任。『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』『ネット大国中国 言論をめぐる攻 防』など著書多数。近著に『毛沢東 日本軍と共謀した男』(新潮新書)
ニューズウィーク日本版 2015.12.21
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/12/post-4275_1.php

先日SEALDs街宣で貧困で臓器を売ってるというスピーチをした人がいるが
臓器移植ビジネスといえば中国だよね?
→ SEALDs「貧困で臓器売買」の元ネタは?

法輪功信者が酷い目にあっているらしい

【youtube】「臓器のための殺人」- 暗闇の中国の臓器移植ビジネス

法輪功の資料ないかなと思って検索してこんなの見つけた

「法輪功」とは何か 「法輪功」とは、いったい何か。一口で言えば、中国の「オウム真理教」です。その教祖は現在アメリカにいる李洪志という人物です。「法輪功」も「オウム真理教」も他のカルト集団と同様ですが、教義や教祖への絶対服従と絶対崇拝を要求し、信者にマインドコントロールを施すのです。

  「法輪功」の教祖である李洪志はまず「善良」を看板にして、「心を修練し、体を鍛える」、長期にわたって「法輪功」を修練すれば、「薬なしで病気を癒し、 健康になる」などと口説いて入門させます。続いて彼の書いた「経書」を読ませ、さらに、「地球は爆発する」など「世界の終末説」をばら撒き、教祖のみが世 界を救い、「人を済度して天国に行かせる」と唱え、信者たちを恐怖のどん底に陥れて狂乱させます。その結果、信者は教祖に絶対服従するようになり、善悪の 判断能力を失い、己を害し、他人を害するなど、極端な行動に走ってしまいます。

 中国政府のこれまでの統計によりますと、「法輪功」の狂信者の中に、自殺或いは投薬や治療を拒否して死亡した者はすでに1600人を超え、精神に障害をきたした者は650余人に達したのです。また、殺人を犯した者は11人で、障害者となった者は144人にのぼります。

  この中で、特に人を驚かせたのは、今年の1月23日、つまり中華民族が21世紀になって初めて迎える春節(旧正月)を前にして一家団欒で過ごす大晦日に、 7人の「法輪功」の狂信者が北京の天安門広場で焼身自殺を図る事件を起こしたのです。その中の2人は未遂に終りましたが、4人がひどい焼けどを負って顔形 がまったく分からなくなり、1人がその場で焼死しました。火傷を負った4人の中に、なんと、12歳になったばかりの少女もいました。彼女は「法輪功」に夢 中になった母親に焼身自殺の現場に連れて来られたのでした。理性と母性愛をここまで失うとはと、人々を驚かせました。

 事実が物語っているように、「法輪功」は日本国民に嫌われる「オウム真理教」と同様に、人権を踏みにじり、社会に危害を与える紛れもないカルト教団そのものです。中国政府は信教の自由を尊重します。しかし、他の国と同様に、カルト教団に対しては決して座視することは出来ません。国民の強い要望に答え、法に基づいてカルト教団である「法輪功」を取り締まり、厳しく打撃を与えることは、国民の生活と生命安全を守り、正常な社会秩序を維持するためなのです。

中華人民共和国駐日本国大使館
h ttp://www.china-embassy.or.jp/jpn/zt/xjflg/t62971.htm 

( ̄д ̄)これが公式見解か~~~~!中国ってすごい国だな。

中国政府を批判 仏記者を事実上の国外退去処分
中国報道仏記者1

中国政府は、パリの同時テロ事件をウイグル族に対する締めつけに利用していると中国政府を批判する記事を書いたフランス人の女性記者について、「テロリズムの片棒を担いだ」と非難し、中国での取材活動を認めず、事実上の国外退去処分としました。

問題となったのは先月18日にフランスの週刊誌「ル・ヌーベル・オプセルバトゥール」のサイトに女性記者のウルスラ・ゴーティエさんが載せた記事で、中国政府は国際的なテロリストを取り締まるという名目で、ウイグル族に対する締めつけを強化していると批判しました。

中国報道仏記者4

これについて、中国外務省の陸慷報道官は26日、コメントを発表し、「ゴーティエ記者はテロリズムの片棒を担いだにもかかわらず、中国の国民に謝罪していない」などと非難し、これ以上、中国国内での取材活動を認めず、事実上の国外退去処分としたことを明らかにしました。

一方、ゴーティエ記者は26日、NHKの取材に対して、25日、外務省に呼ばれ、ことしのうちに出国するよう申し渡されたとしたうえで、「ここ2、3年、ジャーナリストに対する締めつけは、ますます厳しくなっていて、息苦しさを感じている。中国政府は外国のメディアに対してもプロパガンダを強要しているが、私は受け入れられない」と述べ、今月31日にフランスに帰国することを明らかにしました。

中国に駐在する外国メディアを巡っては、過去にも中国に批判的な記事を書いた記者に取材ビザが認められない事態が起きています。

外国人記者への嫌がらせ あと絶たず中国報道仏記者5

中国では警察や当局関係者などから取材に対する嫌がらせが、あとを絶ちません。

中国に駐在する外国人記者は毎年、年末に記者証と取材ビザの更新を義務づけられていますが、北京駐在の外国人記者で作る「外国人記者クラブ」はビザの更新手続きについて調べた結果を、ことし5月に公表しています。

それによりますと、調査に応じた126人のうち、10人が記事の内容を理由にビザを取り消すとか更新を拒否すると警告されたと回答し、このうち、複数の記者は警察から直接、報道姿勢を変えなければビザを発給しないと言われたということです。

また、「外国人記者クラブ」が外国人記者の取材環境について調べた、ことしの年次報告書によりますと取材活動中に警察などの妨害を受けた外国人記者は、回答した117人の72%以上に上ったということです。

さらに外国メディアの取材に応じた人や、外国メディアで働く中国人に対する脅迫や嫌がらせも報告されていて、「取材環境が国際的な基準に達していない」という回答は96%に上ったということです。

相次ぐ外国人記者の国外退去
中国駐在の外国人記者が取材ビザの更新を拒否されるケースは、ここ数年、相次いでいて、中国の社会問題や共産党指導者への批判的な報道が、その原因とみられています。

このうち、2012年には北京に駐在する中東の衛星テレビ局、アルジャジーラに勤めるアメリカ人の女性記者がビザの更新を拒否され、国外退去を余儀なくされました。(
中国報道仏記者7

この記者は強制的な住宅の立ち退きや、官僚の腐敗など地方政府の不正を訴える人々を不当に拘束する収容施設の実態をはじめ、中国の社会問題の取材を数多く手がけていました。

また、同じ年にはアメリカの新聞「ニューヨーク・タイムズ」の北京駐在の男性記者のビザが更新されず、当時の温家宝首相の親族が巨額の資産を保有していると伝えたことへの報復措置とみられています。

ま た、外国メディアで働く中国人の助手に対する締めつけや嫌がらせも強まっています。去年10月には、香港で民主的な選挙を求める学生たちの抗議デモを取材 したドイツの週刊紙の中国人助手が北京に戻ってから公安当局に長期間身柄を拘束されたうえ、ドイツ人の記者も公安当局の執ような取り調べに身の危険を感じ たとして、帰国しました。
NHKNewsWeb2015.12.26
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151226/k10010354201000.html
ウイグル弾圧しておいてテロリスト呼ばわり
中国は何でも逆に言うんですね
ダライ・ラマが稀代の嘘つきとか。
ディスカウント・ジャパンは侵略の布石


アルジャジーラ北京支局の英語記者追放、当局が番組問題視か
中国報道仏記者アルジャジーラ北京英語
http://www.reuters.com/article/us-china-media-idUSBRE84704G20120508

[北京 8日 ロイター] 中東の衛星テレビ局アルジャジーラは8日、中国当局が北京支局に在籍する女性記者の査証(ビザ)の更新を拒否したため、支局の英語部門を閉鎖した。事実上の追放とみられ、記者証を所持していた外国人記者の追放は13年ぶり。

記者は米国籍のメリッサ・チャンさんで、2007年から同局の英語サービスで勤務。チャンさんのツイッターアカウントには1万4000人以上のフォロワーがいる。
この件に関して、中国外務省からのコメントは得られておらず、チャンさん本人もコメントすることはないと話している。
中国の外国人記者クラブ(FCCC)は、アルジャジーラで放送された海外制作のドキュメンタリー番組などを当局が問題視したため、チャンさんの記者証が無効になったと指摘。その上で「中国の外国人記者に対する検閲や脅迫のためにジャーナリストビザを利用する最も極端な例だ」と今回の処分を批判した。
また、アルジャジーラは「中国の報道機関が世界のニュースを自由に取材しているように、中国にいるアルジャジーラの記者にも自由な報道活動が認められることを期待する」と声明を発表。北京支局のアラビア語部門の記者は活動を続けるという。
外国人記者が最後に追放されたのは1998年で、国家機密を違法に取得したなどとして日本人記者らが国外追放処分を受けた。
ロイター2012.5.8
http://jp.reuters.com/article/tk0798290-china-media-al-jazeera-idJPTYE84704I20120508

ふーん
政権批判し放題の日本で報道の自由度が下がってるっていうのはどっかの国の意向でもあるんですかねぇ
言論の自由を奪ってるのは誰ですか? 

こちらの記事によると
日中和解はホンモノか?~豪で進む驚愕の反日プロジェクト

「2013年、中国は大金を投入し、全世界で「反日プロパガンダ」を行います。」

日本はスパイ防止法もないし、工作し放題ですから。

【満州文化物語(10)】
娘の首に刀を…「ごめんね、母さんもすぐに逝くからね」 ソ連軍に蹂躙された「葛根廟事件」
戦前戦中の満州

世界遺産にふさわしい
 日本人として決して忘れてはならない歴史の事実がある。例えば、先の大戦でソ連(当時)がわが国に対してやったことだ。

 昭和20(1945)年8月9日、日ソ中立条約を一方的に破棄して旧満州、千島・樺太へと侵攻してきたソ連軍は、日本の民間人に対して殺戮(さつりく)、略奪、レイプの非道極まりない行為を容赦なく繰り返した。
  領土的野心を剥(む)きだしにしたソ連軍は8月15日以降もひとり戦闘行為を止めない。ポツダム宣言に背き約60万人の日本人をシベリアへ連れ去り、酷寒 の地でろくな食事も与えず、重労働を強制し、約6万人を死に至らしめた。人権への配慮などかけらもない所業。「世界遺産」として、人類の記憶にとどめてお くのに、これほどふさわしいものはないではないか。
 それだけではない。8月22日、樺太から北海道への避難民を 満載した小笠原丸など3隻が留萌沖で国籍を秘した潜水艦の攻撃を受け、約1700人が犠牲になった。ほとんどが女性や子供、お年寄り。日本の船は民間船で あることを明示していた。魚雷攻撃で冷たい海に投げ出され、波間に漂う人たちを、あざ笑うかのように機銃掃射でとどめを刺したのである。

何度も死を覚悟
 満州の北西部を貫く大興安嶺の山脈と広大な草原。満州国時代、モンゴル(蒙古)人が多いこの地域に、興安総省が設けられ、総省公署(役所)が置かれたのが、「興安街(こうあんがい)」(現中国・内モンゴル自治区ウランホト)であった。

  終戦時の在留邦人は約4000人(周辺地域を含む)。8月14日、このうち約1000人の民間人が興安の南東約40キロのラマ寺院、葛根廟(かっこんびょ う)近くでソ連軍の戦車十数両に蹂躙(じゅうりん)されて虐殺。あるいは絶望しての自決によって亡くなった。助かったのはわずか百十数人。親を殺された 30人あまりは残留孤児となった。「葛根廟事件」である。

 大島満吉(79)はそこで生き地獄を見た。何度「死」を覚悟したか分からない。当時、国民学校(小学校)4年生。両親と兄、弟、妹の6人家族で、興安街から徒歩で南へ向かって避難する途中だった。
  14日正午近く、真夏のギラギラとした陽ざしが照りつけていたのを覚えている。「戦車だっ!」。避難民の隊列の戦闘付近にいた満吉は、後方から叫び声を聞 く。くもの子を散らすように逃げ出した避難民の後から、轟音(ごうおん)を響かせて追いかけてくるソ連軍の戦車群が見えた。
  「キャー、逃げろ!」。ドーン、ドカーン…日本人の悲鳴をかき消すように戦車砲が炸裂(さくれつ)する。地鳴りのようなキャタピラの音。ダダダっ…機銃や 自動小銃の発射音が鳴り止まない。母らと一緒に近くの壕(ごう=自然にできた大きな亀裂)の中へ飛び込んだ満吉は銃を持った人影を見た。
日本兵が助けにきてくれたのかと思ったら、ソ連兵だったのです。私の背中のすぐ後ろで、日本人に向けていきなりダダダっと自動小銃を発射しました。ギャーという悲鳴、ブスブスっと銃弾が体に食い込む音…あっという間に30人ぐらいが殺されました」

悲しき最後の晩さん
  終戦間際、満州では南方へ転身していた関東軍の兵力を穴埋めするために、一般の多くの成人男子が「根こそぎ動員」で軍隊に召集されていた。葛根廟事件に遭 遇したのはほとんどが、女性や子供、お年寄りである。武器はわずかな成人男子が小銃などを持っていただけ。その“弱者集団”を戦車が虫ケラのように踏みつ ぶし、砲や自動小銃で撃ち殺したのだ。

 絶望した避難民は、青酸カリをあおったり、互いに短刀を胸に突き刺したり、わが子の首 をヒモで絞めて自決する人たちが相次ぐ。壕の中には母親と満吉、6歳の弟と2歳の妹…。覚悟を決めた母親は妹の首にいきなり刀を突き立てた。「ごめんね、 母さんもすぐに逝(い)くからね」。鮮血があふれ、妹は声も出さずに死んでいった。泣きながら小さな顔に頬ずりをして、手を合わせた母の姿が忘れられな い。
 国民学校の校長先生の子供たちがいた。両親はすでに亡い。ひとつ年上の長女から声を掛けられた。
 「『最後の晩さん』をしましょう、って。荷物の中にあったそうめんや角砂糖を出してきて一緒に食べました。味なんかしなかった。ああこの世の別れなんだ。『死にたくない』って思いましたけれど…」
 満吉の前に十数人の列ができていた。日本刀を持った在郷軍人に刺し殺してもらうのを順番に待っているのだ。 
そのとき、離ればなれになっていた父親とひとつ上の兄が突然、壕に姿を見せる。「お前たち、生きてたのか! 随分、探したんだぞ。さあ立て、こんなところで死ぬことはない」。父親の大声が響いた。

 だが、母は動こうとしない。「あたしは行けないよ。(娘が死んだ)ここに一緒に残るんだ」。父親は母の体を引きずるようにして無理やり立たせた。「終わったことは仕方がない。さあ逃げるんだっ」。

生涯消えない記憶 
 大島一家は、葛根廟から新京(現・中国長春)へと逃れ、妹を除く家族5人が奇跡的に助かった。
 だが、極限の状況の中で自分の子を手に掛けねばならなかった母の悲しみ、苦しみは生涯消えることはない。戦後、満吉は9回、現地を再訪したが、生前の母は決してその地を訪れようとはしなかった。
 「最後の晩さん」をともにした校長先生の長女はその後、病死。4人兄弟のうち、ひとりだけが、残留孤児になって来日を果たしている。国民学校270人の児童のうち、実に約200人が亡くなった。
 同じ興安街の住人、同じ国民学校の児童でありながら、1日の遅れ、いやわずか1時間の差が彼らの生死を分けてしまう。
 あまりにも残酷な運命を戦後遅くなって知った人もいる。葛根廟事件は、助かった者にも「重い十字架」を背負わせた。それは次回に書く。
=敬称略、隔週掲載
(文化部編集委員 喜多由浩)
産経ニュース2015.11.8
http://www.sankei.com/premium/news/151108/prm1511080016-n1.html
 

ツイッターで教えてもらった
謎のチャンさん=メディア・イベント・シニア・スーパーバイザー、鄭賢淑(チョン・ヒョンス)さん だったらしい
外国特派員協会 藤岡信勝氏らに対する姑息な嫌がらせ 
(チョンさんとは別にチャンさんが存在した場合は更に問題かもしらん)

田中角栄からふなっしーまで会見…「日本外国特派員協会」の舞台裏

 【話題の肝】
  「公認(キャラクター)じゃないのになんでビッグスターになれたんですか?」「昔から判官(ほうがん)びいきって言葉があるなっしー」。3月5日、千葉県 船橋市の非公認キャラクター「ふなっしー」と外国メディアの、会見でのこんなやり取りが相次いで報道された。場所は「日本外国特派員協会」。終戦直後に作 られた前身組織から歴史は実に70年を数え、外国メディアのジョークを交えた「直球質問」で、政治家からアスリート、芸術家まで「時の人」の新たな一面を 発信してきた。次々と注目会見が行われる協会の舞台裏をのぞいた。(滝口亜希)

■「スーパースター」ふなっしーに質問殺到 「憲法」「時給」「人権」…
 Q「日本を代表するキャラとしてどういったスピリットをお持ちですか?」
 A「梨の妖精だけど、大和魂としては何でも挑戦するのがモットーなっしー」

 東京都千代田区有楽町のビル20階に入る同協会での会見に登場したふなっしーは、序盤から外国メディアとの軽妙なやりとりで会場を沸かせた。

  午前11時からの会見には多くの国内メディアも詰めかけ、会場はほぼ満席。独特の動きへの笑いと拍手、カメラのフラッシュに迎えられたふなっしーの人気ぶ りに、司会を務めた独紙フランクフルター・アルゲマイネのカーステン・ゲアミス氏が「日本外国特派員協会にデビューしたらセレブになるのかなと思ったら、 すでに大変なスーパースターであることが皆さんの反応で分かりました」と紹介した。

 会見が注目を集めた理由は、ふなっしーの人気に加え、外国メディアの直球質問の数々にもある。

  「ふなっしーは梨ですけど、こんな質問しちゃいます」と切り出したのは男性記者。「平和憲法などについて解釈を変えるというニュースがありますが、それに ついてどう思いますか?」と聞かれたふなっしーは「めちゃくちゃ深いなっしー!」と驚きつつも「何事も平和に行ってほしいなっしー」と応じた。

  記者たちの質問は止まらない。経済紙の男性記者からの「時給いくらですか?」との質問には「たぶん梨1000個くらい」。別の男性記者に洋ナシと結婚する 可能性について問われると「戸籍ないから結婚は無理なっしー」と即答し、「いつかふなっしーも人権を勝ち得ることができるといいですね」と記者からエール を送られた。

 中には、ふなっしーが米ロックバンド「エアロスミス」のファンであることから「ひと声お願いできますか」とリクエストする男性記者も。会見場で「ウォーク・ディス・ウェイ」の一節を披露し、喝采を浴びた。

 日本外国特派員協会の歴史は古く、日本の戦後史にも重なる。

 協会の前身である「東京特派員クラブ」が誕生したのは昭和20年。終戦直後に日本に着任した外国メディアの記者らが、GHQ(連合国軍総司令部)との交渉や、特派員らの宿泊場所の確保などのために組織した。

 やがて次第に会員が減少し、クラブの収益を確保するためにダンスパーティーなどを開催するようになったが、1950(昭和25)年に朝鮮戦争が始まると、取材拠点として会員が急増。現地では18人の会員が命を落とした。

 昭和27年に現在の日本外国特派員協会に改称。以来、作家の三島由紀夫氏やプロ野球の王貞治氏、指揮者の小澤征爾氏、レーガン米元大統領など、国内外のゲストを招いてきた。

 中でも語り継がれているのは、当時の首相だった田中角栄氏を招いた49年の報道昼食会だ。

 政治資金問題が取り沙汰されていた田中氏が、外国メディアから厳しい追及にあう様子が報道され、国内メディアの報道も活発化。その後、退陣することとなる田中氏の失脚を加速させたといわれている。

 また、平成26年には、ソチ五輪フィギュアスケート女子で6位だった浅田真央選手が、森喜朗元首相から「大事なときには必ず転ぶ」などと評されたことについて「私は何とも思っていない。たぶん森さんが少し後悔されているのでは」と笑顔で話し、話題を呼んだ。

■基準は「外国メディアにとってのニュース性」 ゲスト決定の翌日に会見も

 沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突映像を公開した元海上保安官の一色正春氏から、オバマ米大統領が26年の来日の際に足を運んだ「すきやばし次郎」のすし職人、小野二郎氏まで、協会が招くゲストの人選は幅広い。どうやって決めているのだろうか。

 協会によると、ゲスト候補は主に、(1)10人前後の委員で作る報道委員会での議論(2)「こういう人を呼んでほしい」という会員からの要望(3)「会見したい」というゲスト側からの要望-の中からピックアップされ、報道委員会が最終的に決定する。このほかに、一般の人から郵送やメールで要望が寄せられることもあるという。

 報道委員会は月に一度、対面でのミーティングを行うほか、頻繁にメールで連絡を取り合い、ゲストを決めていく。

 ゲスト選びの基準は「外国メディアにとってニュース性があるかどうか」だ。「数時間でゲストが決定することもある」と話すのは報道委員を務める東洋大講師の米山司郎さん。自身も「日本のソフトパワーという面から(熊本県のPRキャラクターの)『くまモン』を提案し、実現した」という。

 ゲストが決まると、次は会見の設定だ。

 会見設定などを担当する協会のメディア・イベント・シニア・スーパーバイザー、鄭賢淑(チョン・ヒョンス)さんに よると、ゲスト決定から会見実施までは通常、1週間から10日ほどかかるが、今年1月に開かれた、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」に拘束された フリージャーナリスト、後藤健二さんの母、石堂(いしどう)順子さんの会見のケースでは、石堂さん側から前日夜に連絡を受け、翌日午前に会見を実現させ た。

 また、ソチ五輪で6位に終わった浅田選手の場合も、ソチでの演技が「あまりに感動的」と評価され、ソチを離れる約16時間前に急 遽、マネジャーを通じて会見を打診。羽田空港から協会へ直行してもらったという。鄭さんは「ニュースは生きているので、タイミングがとても重要。時期がず れると参加人数が全く変わってくる」と、スピード感を重視する。

■連絡方法は「探しまくる」 会見設定のコツは…
 協会で開かれる会見は年間約130件。話題の人物に連絡を取るだけでも難しそうだが、協会特有の人脈があるのか鄭さんに尋ねると「コネクションなんてありません。あったらどんなにいいか…」と即答された。

  実際には、インターネットなどで、マネジメント会社などゲストへの連絡方法を「探しまくる」のだという。ゲストに著作があれば、その出版元にもアプローチ する。どうしてもゲストにたどりつかない時は、最後の手段として、会員に情報提供を求めることもあるというが「探せたときの喜びは大きい」と鄭さん。この 10年で600件以上の会見を担当し、「スケジュール調整などで実現しなかったものも含めれば倍くらいになる」というが、「探せなかった人は一人もいな い」と断言する。

 その中でも会見設定につなげるコツを聞くと「著名な人は前もって(関係を)耕しておいて、ここだというときに招待状を送るんです」と教えてくれた。

 鄭さんに、担当した会見の中でも参加者が多かったゲストを聞くと、大阪市長の橋下徹氏▽オリンパス元社長のマイケル・ウッドフォード氏▽米著名投資家のジョージ・ソロス氏▽、チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世ーだという。

 橋下氏は慰安婦をめぐる発言などで批判を受けていたことで、ウッドフォード氏はオリンパスの損失隠し事件で疑惑を指摘して解任されたという経緯から「日本と外国いずれのメディアにも関心を集めた」と分析。ソロス氏とダライ・ラマは「なかなか会えない人物だから」とみる。

■シナリオのない真剣勝負 会員数は減少傾向
 ゲスト選定に加え、会見の雰囲気も国内の各官公庁などにある記者クラブとは趣が異なる。

 記者からの質問内容は、全てぶっつけ本番の“真剣勝負”。 ゲストにも、協会側から「どんな質問でもコントロールはできません」と伝えるという。米国に駐在経験があり、長年、英文ジャーナリズムに携わっている米山 さんは「ゲスト側に事前に質問を伝えることはなく、シナリオがない記者会見。対外的な発信ができるが、ゲストにとっては諸刃の剣」とみる。

 ただし、マナーを破ったり感情的になった人に対しては、司会がジョークをはさむなどして場の雰囲気を調整する。鄭さんは「記者がやじを飛ばしたり、怒鳴ったりということは、ここではありません」と話す。
(「right wing!」ってやじ飛んだり、時間が過ぎても在日特権ガー言ってた山谷えり子大臣会見は何
拉致問題よりヘイトスピーチって何なの? 反日外国特派員協会

 一方で、インターネットの普及に伴う情報伝達手段の多様化など、時代の動きも協会と無縁ではない。

 企業関係者なども含めて14年に2100人以上いた会員数は、今年2月末時点で1957人まで減少している。「日本の代わりに中国に特派員を置くメディアもある」(米山さん)という。

 協会でも会見内容をネット上で動画公開するなど、さまざまな発信方法を模索しているが、「直接、会見に足を運ぶ人は今も多い。現場の臨場感や自由に何でも聞けるというのが、この協会の会見の魅力。今後も、私たちのやり方を続けていきたい」と鄭さん。協会総支配人の柳友彦さんも「世界25カ国、140社のメディアが所属するクラブは他にない。引き続き、報道の自由、表現の自由をサポートしていきたい」と話している。

 今後も、有楽町の一画から数々の歴史的瞬間が生まれそうだ。
産経新聞2015.4.8
http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/150408/lif15040811300008-n1.html


元朝大生、母校を語る外国特派員協会チョンさん元朝大

朝 鮮大学校は50年の歴史の中で1万4000人の卒業生を輩出してきました。地域の同胞社会や民族教育の教壇で、先端の科学技術の現場やビジネスの世界で、 元朝大生が活躍しています。また、活動舞台は日本はもちろん、朝鮮半島、世界に広がっています。卒業生が語る現在と母校の話をお聞きください。

背中を押してくれたのは素直で素朴な言葉と表情
李正恵さん/北大阪朝鮮初中級学校教員

出会いを大事にし、感謝を忘れない
任宗孝さん/在日本朝鮮人総聯合会大阪府生野西支部委員長
物差しは一つではない自分の物差しの確立を
鄭賢淑さん/(社)日本外国特派員協会 メディア・リエゾン・オフィサー
素粒子という極小の世界にロマンを求める
曺基哲さん/お茶の水女子大学大学院助教授、理学博士
世界に開かれた大学に岐路に立つ今こそ熟考を
金正俊さん/会社経営
朝大1号の誇り結果で可能性見せたい
鄭大世さん/川崎フロンターレ FW
KOREA UNIVERSITY 50th
半世紀の歴史と存在の重さ示す
全国から卒業生が集結、5000人が盛大に祝賀
イオWebマガジン2006.12
http://www.io-web.net/2006/12/sp_bokouwo-kataru-0612/

ふーん
元朝鮮大学校出身者が仕切る外国特派員協会ですか
拉致問題よりヘイトスピーチになるのは当然ですわね 

坂東忠信氏の書いていた雨花台の碑について
南京大虐殺はウソのバトン・リレー

<レコチャ広場>中国人が南京大虐殺をどう歪曲しているのか、とくと見てみよう―中国

 2012年3月2日、中国のジャーナリスト、王錦思(ワン・ジンスー)氏は「中国人が南京大虐殺をどのように歪曲しているのか、とくと見てみよう」と題した記事を中国のブログサイトに掲載した。以下はその内容。

河 村たかし名古屋市長が堂々と「南京事件はなかったのではないか」と発言し、中国各界から怒りと抗議が噴出している。だが、実は中国人自らが南京大虐殺を歪 曲していることは、ずっと見過ごされてきた。まずはこうしたやり方を直さなければ、われわれが日本人を責め立てることはできない。

新中国成立後、最初に南京に建てられたのは、蒋介石に処刑された20万人の共産党員を祀る「雨花台烈士記念館」だ。南京大虐殺記念館が建てられるのは、その30年後になる。いわゆる「文化大革命」の時代には国民党に虐殺された革命烈士への追悼がブームだった。

当時、中国人は広島の原爆犠牲者に祈りを捧げに行ったが、誰も南京大虐殺の犠牲者を弔おうとはしなかった。紅衛兵は「南京大虐殺は『国民党を殺した』もの」だと言い、遺跡を破壊し尽くした。学術界でも、南京大虐殺の研究はタブーだった。そんな中、立ち上がったのが南京大学歴史学部の高興祖(ガオ・シンズー)教授だ。

1972年、鈴木明氏が「『南京大虐殺』のまぼろし」などの文章を発表。1982年6月、文部省が教科書の記述を改めさせる。これに刺激を受け、中国の学者たちがようやく南京大虐殺研究を正式に申し出た。1983年、南京大虐殺記念館の建設案が浮上、1985年に完成。

だが、初期の研究は民族感情が入り込み過ぎていて、とても研究と呼べるものではなく、「民衆に偏った歴史観を植え付けることになる」と警鐘を鳴らす学者もいた。2007年、台湾の教科書から「南京大虐殺」の文字が消える。

中国人は、侵略行為を否定する日本に対し、常に感情論で反撃してきた。例えば、日本人が犠牲者の数を30万ではなく20万ではないかと問えば、「30万より少なければ、虐殺がなかったというのか?」「1人でも殺していれば殺人だ」などと巧妙に回答をはぐらかす。

だが、戦後間もないころ、日本の戦犯の公判でレイプされた女性が出廷した時には傍聴席から笑い声さえ聞こえてきた。南京大虐殺をテーマにした映画を放映した時には観客から「看護士がレイプされるシーンが短すぎる、肌の露出も少ない」と苦情が上がったほどだ。

1985 年~1997年、南京大虐殺記念館の参観者は延べ580万人、日本人は延べ18万人に上った。なので、日本人が南京大虐殺を全く知らないという言い方は誤 りである。2002年、筆者が記念館に向かう途中に乗ったタクシーで、地元の運転手は「あの時30万人殺してもらってよかった。そうでなければ、今の南京 はもっと人が多かった」と言っていた。

日本の旧軍人や中高生が記念館でひざまずいて大泣きする姿をしばしば見かけるが、中国人がそうしているのをあまり見たことがない。泣けないのであれば、せめて笑うべきではないと思うのだが、中国人の参観者が笑っているのを見たのは1度だけではない。

広 島には「被爆者白書」があり、犠牲者の数も25万3008人と正確な数字が出ているが、南京大虐殺で名前が分かっている犠牲者は3000人ほどしかいな い。広島は1946年から毎年8月6日に追悼式典を行っているが、南京で追悼式典が始まったのは1985年。広島には毎年首相が出席しているが、南京では 市長さえも毎年来るか来ないかといった感じだ。

2001年12月13日、筆者は南京の追悼式典に出席したが、他の参列者はまるで縁日に でも来ているかのようにガヤガヤとうるさく、悲しみなど微塵も感じなかった。そこにいる全員が涙を流す必要もないが、せめて静粛にできなかったのか。筆者 はその後、2度と記念館には行っていない。行くなら雨花台と決めている。

無数の血や涙が流れた南京にも平和が戻ってきた。そして、彼らは日本語を学び、日本資本を受け入れ、世界に向かって突き進んでいる。(翻訳・編集/NN)

●王錦思(ワン・ジンスー) 吉林省出身、北京在住のジャーナリスト。北京大学でメディア学を専攻。日中歴史問題や抗日戦争史を研究課題としている。著書に「日本行、中国更行」。11年3月に日本で「中国『反日』活動家の証言」を出版。

※本記事は筆者の承諾を得て掲載したものです。
Record China2012.3.3
http://www.recordchina.co.jp/a59266.html

中国内で「南京大屠殺」のネタが時々で都合いいように扱われてきた経緯がわかりますね。

雨花台烈士陵園
南京 雨花台烈士陵園で革命烈士を追悼する少年先鋒隊隊員
雨花台烈士記念園碑少年雨花台烈士記念園碑旗

 写真は3日、雨花台烈士記念碑前で追悼の言葉を捧げる少年先鋒隊隊員。清明節を前に、多くの市民や学生、機関や会社の職員、軍の将兵が中国新民主主義革命の記念地である南京雨花台烈士陵園を訪れ、様々なイベントを行い、革命烈士を参拝・追悼した。中国新聞網が伝えた。(編集YH)
「人民網日本語版」2014.4.4
http://j.people.com.cn/94638/94659/8589317.html
(清明節は中国のお盆的なものらしい)

南京大虐殺は国民党のプロパガンダだった
南京大虐殺はウソのバトン・リレー

南京市民は南京大虐殺は蒋介石がやったと思っていた
南京大虐殺ないわ(゚∀゚) と思ったキッカケ

中国共産党にとっての「南京大屠殺」とはズレたところで論争する日本人
大屠殺(中国)と大虐殺(日本)の違い

読んでびっくり中国軍
→ じゃぁ中国軍ってどんなだったの?

日中和解はホンモノか?~豪で進む驚愕の反日プロジェクト 
こちらで引用されていた記事

反日統一共同戦線を呼びかける中国

中国の著名な専門家は、中国と同様、日本と領土問題を抱えるロシアと韓国に対し、反日統一共同戦線を組むことを呼びかけた。この共同戦線は日本の指導部に対し、第2次世界大戦の結果を認め、近隣諸国への領土要求を退けさせることを目的としている。

 14日モスクワで行われた露中韓の三国による国際会議「東アジアにおける安全保障と協力」で演説にたった中国外務省付属国際問題研究所の 郭宪纲 (ゴ・シャンガン)副所長は、こうした考えを明らかにした。郭氏は、日本は近隣諸国との領土問題の先鋭化に意識的に対応し、第2次世界大戦の結果を認めな いことを見せ付けたと強調している。郭氏は対日同盟を組んでいた米国、ソ連、英国、中国が採択した一連の国際的な宣言では、第2次世界大戦後、敗戦国日本 の領土は北海道、本州、四国、九州4島に限定されており、こうした理由で日本は南クリル諸島、トクト(竹島)、釣魚諸島(尖閣諸島)のみならず、沖縄をも 要求してはならないとの考えを示した。

 こう述べる郭氏は、中国、ロシア、韓国による反日統一共同戦線の創設を 提案している。日本に第2次世界大戦の結果を認めさせ、近隣諸国への領土要求を退ける必要性を認識させるために、この戦線には米国も引き入れねばならな い。一方で郭氏は、領土要求を法的に退けることについては、日本と新たな講和条約を結び、そのなかに書き入れられねばならないとしている。郭氏は、51年 にソ連と中国の承認なしに締結されたサンフランシスコ講和条約は内容が古くなっているとの見方を示し、それにかわるものとして新たな講和条約が結ばれなけ ればならないと語った。

 モスクワ国際関係大学国際調査センターの専門家であるアンドレイ・イヴァノフ氏は、会議での郭氏の発言は、参加者の反応をさぐるために投げられた「爆弾発言」として受け止められたとして、次のように語っている。

  「反日統一共同戦線を創設し、日本政府に対し新たな講和条約を結ばせるという提案はセンセーショナルなものといってよい。これがしかも中国外務省に属する 大きな研究機関の副所長であり、中国外交政策の策定にかかわる人物の口から飛び出した。提案は一方では中国のある専門家の意見であり、別の見方をすれば大 なり小なり中国指導部の感じるところを反映しているといえる。」

 この「爆弾発言」にロシアの専門家らはまず、冷静な反応を見せた。ロシアは論争問題を対立関係をつくることで解決することには反対の姿勢をとっている。 

  ロシア政府は日本との領土論争においては感情の高ぶりを押さえ、まず互恵的な経済協力を第1に進める方策を採るようになって久しく、しかもそれは成功を納 めている。では韓国の反応はどうなるかだが、これについてはなんとも言えない。イヴァノフ氏は韓国の立場については日本がどれほど強硬にトクト諸島の領有 権を主張するかによって決まるだろうとの見方を示している。現時点で言えることはただひとつ。郭氏のイニシアチブが物語るのは、中国の新指導部は領土論争 において日本と、いや日本だけでなくほかの国とも最も強硬な立場を貫く構えであるということだろう。
ロシアの声2012.11.15
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2012_11_15/94728921/

(´・ω・`)初めて見たサイト
この人も初めて知った
【wiki】北野幸伯

最 近の新聞でも大きく報じられている「日中和解」。尖閣問題など、まだ大きな問題を抱えながらも大人な態度で双方が歩み寄っているように見えますが、「無料 メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』の著者である北野幸伯さんは、中国は戦術を変えただけで実は何も変わっていないと指摘します。関係の改善を「演出」 する、その真意とは……?

日中和解はホンモノか?~豪で進む驚愕の反日プロジェクト

少しずつですが、日中関係が穏やかになってきているようです。
日中関係「大きく好転」=中国序列4位、谷垣氏らと会談 
時事通信12月4日(金)15時23分配信【北京時事】

日 中与党交流協議会に出席するため北京を訪れた自民党の谷垣禎一、公明党の井上義久両幹事長は4日、北京の人民大会堂で、共産党序列4位の兪正声・全国政治 協商会議(政協)主席と会談した。兪氏は「中日関係が今年に入って大きく好転したのは間違いない」と強調。6年ぶりに再開された協議会について「中日両国 の政治的相互信頼の増幅や友好・協力関係の増進に向けて、とても重要な意義を持つ」と評価した。

「日中関係が大きく好転」だそうです。
今回は、日中関係の過去、現在、未来について考えてみましょう。

日中関係のこれまで
日中関係を復習してみましょう。
日中が「蜜月」だったのは、小鳩政権のときです。
小沢さんは北京に行き、
私は、人民解放軍の野戦軍司令官です!!!!!!!
と宣言していました。
鳩山さん、小沢さんは、日中関係を劇的に改善させ、一方で日米関係を最悪にしました。
しかし、お二人は長く政権にとどまれず、2010年6月、菅さんの時代に突入します。

2010年9月、「尖閣中国漁船衝突事件」が起こりました。
中国は、自分が悪いにも関わらず、過酷な制裁を日本に課し、日中関係は悪化しました。
特に「レアアース禁輸措置」などは、世界を驚かせたものです。
さらに中国は、この時期から、「尖閣は中国固有の領土で核心的利益である!」と全世界で公言するようになりました。
2012年9月、日本政府は、尖閣を「国有化」。
これで、日中関係は「戦後最悪」になってしまいます。

2012年11月、中国の代表団はモスクワを訪問。
ロシア、韓国の代表たちと、「今後の対日戦略」について話し合いました。
この時、中国がロシア、韓国に提案したことは三つ。

1.中国、ロシア、韓国で、【反日統一共同戦線】をつくりましょう。
2.三国は一体化して、日本の「領土要求」を断念させましょう。具体的には、「北方4島」「竹島」【沖縄】(!!!)日本に【沖縄の領有権はない】とのこと。
3.「反日統一共同戦線」には、【アメリカ】も加えましょう。

この話、新規読者の皆さまには、「トンデモ系」と思われることでしょう?
そう思った方は、いますぐこちらの、「絶対的証拠」を最低3回音読してください。
反日統一共同戦線を呼びかける中国

この「反日統一共同戦線」戦略を知った時、私は、
「嗚呼、中国は、戦争をはじめたのだ……」
と思い愕然としました。
戦争は、「戦闘」だけではないのです。

その前に、「勝てる環境づくり」が行われます。
で、どうやって「勝てる環境づくり」をするかというと、「情報戦」によってです。
「情報戦」で敵国(日本)を、「悪魔化」する。
そして、「孤立」させ、「誰も敵国(日本)を助けないような状況」をつくりあげる。
中国の「対日プロパガンダ」の柱はなんなのか?
▼日本は再び「軍国主義化」している
▼日本は、「右傾化」している
▼日本は、「歴史修正」を目指している

中国がモスクワで「反日統一共同戦線」構築を宣言した翌月、日本には安倍内閣が誕生しました。
2013年、中国は大金を投入し、全世界で「反日プロパガンダ」を行います。
そして、2013年12月、安倍総理が靖国を参拝すると、中国、韓国に加え、アメリカ、イギリス、EU、ロシア、オーストラリア、台湾、シンガポールなどなどが、厳しくこれを批判しました。
日本政府はパニックになります。
「ええ!?!? 小泉さんは首相時代6回参拝したけど、批判したのは中韓だけだったぞ! なんで今回は、全世界が非難しているのだ???」
「反日統一共同戦線」の存在を知らない日本政府は、オロオロ。
アメリカを中心に、「安倍バッシング」の機運は急速に盛り上がっていきます。
ブルームバーグは、「安倍を懲罰せよ!」と主張していた。

しかし、バッシングは、はじまったのと同じくらい急速にしぼんでいきました。
2014年3月、ロシアがクリミアを併合した。
それで、オバマは安倍さんを「反ロシア制裁連合」に加える必要がでてきた。
安倍バッシングはこれでなくなりました。

2015年3月、「AIIB事件」が起こった。
親米国家群、たとえばイギリス、ドイツ、フランス、イタリア、オーストラリア、イスラエル、韓国などが、アメリカを無視し、中国主導「AIIB」に参加した。
これで、アメリカの「敵ナンバーワン」は、ロシアから中国に移りました。
2015年4月29日、安倍総理が米議会で「希望の同盟演説」。
「アメリカを反日統一共同戦線に引き入れる」
という中国の意図に反し、日米関係は劇的に改善されます。
この頃から、日中関係は、好転しはじめたのです。

5月、二階さんが3000人をひきいて訪中した。
すると習近平がひょっこりあらわれ、
「朋あり遠方から来る、また楽しからずや」
といって、にっこりほほ笑んだ。
そして、「戦略的互恵関係を深めましょう」となった。
以後、日中関係は、徐々に改善されています。
以上、日中関係の流れをみてきました。

まとめてみましょう。
2012年9月、尖閣国有化で、日中関係は戦後最悪になった。
中国は、「反日統一共同戦線」戦略によって、日本と戦うことにした。
この戦略の大きな柱は、「日米分断」であった。
それで中国は、大規模な「反日プロパガンダ」により、日米分断をはかった。
ところが、「AIIB事件」で、日米は逆に親密になってしまった。
というわけで、「日本孤立化による日米分断」に失敗した中国。
今度は、「日本に接近することで日米分断」をはかっている。
時系列でみることで、こういう流れが、はっきり理解できるでしょう。

オーストラリアではじまる、驚愕の「反日プロジェクト」とは?
AIIB事件後、中国は日本に接近してきています。
これは、「戦術的変化」であって、「戦略」(反日統一共同線)にはなんの変更もないことを、私たち日本人ははっきり知っておく必要があります。
このことは、「戦略的互恵関係を深めましょう」とニッコリ微笑みながら、中国が外国で何をしているか知れば、はっきり理解できます。

今回は、オーストラリアで何が起こっているか見てみましょう。
オーストラリアの慰安婦像計画と戦い、大きな成果を出しているAJCN代表・山岡様からのメールをご紹介させていただきます。
(AJCN HP→http://jcnsydney.blogspot.ru/)
北野様
平素より勉強させて頂いております。
AJCN代表の山岡です。
もちろん、まぐまぐ投票させて頂きました。
二つの動きが同時に進行する秀逸な分析、ありがとうございました。
まさに私が気にしていたことです。
というのも、豪州の北部準州から、信じがたいニュースが立て続けに入って来たからです。
なんと、州政府が、ランドブリッジという中国企業に、ダーウイン港を99年間租借させることを認めたというのです。
ダーウインといえば、米国海兵隊が駐留し、日本の自衛艦も寄港する防衛の要衝です。
南シナ海有事の際には、重要な発進基地となります。
州政府は、商業上の契約に過ぎないとうそぶいていますが、当該企業は中国共産党はもちろん、人民解放軍とも深い繋がりがあることが軍事専門家から指摘されています。
さらに耳を疑うニュースが飛び込んで来ました。
なんと、州政府の肝いりで、ダーウイン港の埠頭に70数年前の日本軍によるダーウイン空爆を疑似体験できる観光客向けの施設を作るというのです。
それもなぜか、たまたま停泊していた米軍の巡洋艦の館長の視点で描かれるとか。
そして、バーチャルリアリティの技術を提供するのがあのサムソンなのです。
多くの人が亡くなった空爆の疑似体験をツーリストアトラクションにするとは、何という不謹慎でしょう。
日米を離反させたい中国共産党の意図、そして、韓国の利用があからさまだと感じるのは私だけでしょうか?
北部準州政府は中国に乗っ取られてしまったのでしょうか?
このように、中国は経済の凋落が進む一方で、覇権主義に基づく軍事的策謀を着々と進めつつあります。
まさに、二つの動きが同時に進行しているのです。
果たして、経済的に窮乏したら、軍事的進行も止まるでしょうか?
日本は楽観せずに、対策チームを組んで可能な全ての対抗手段を取るべきです。
二つの動きが同時に進行するという観点から、豪州発の耳を疑う具体例を報告させていただきました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
PS こんな状態で、潜水艦の技術供与をしていいのでしょうか?

どうですか、これ。
中国の「反日統一共同戦略」は、依然として「継続中」であることがはっきりわかります。
中国を挑発する必要はもちろんありませんし、するべきではありません。
しかし、適切な距離を常に保つ必要があるでしょう。
そして、山岡様がおっしゃられる通り、「反日プロパガンダ」に対しても、真剣に対策を行う必要があります。
MAG2NEWS2015.12.8
http://www.mag2.com/p/news/130246

『ロシア政治経済ジャーナル』
http://www.mag2.com/m/0000012950.html
著者/北野幸伯
日本のエリートがこっそり読んでいる秘伝の無料メルマガ。驚愕の予測的中率に、問合わせが殺到中。わけのわからない世界情勢を、世界一わかりやすく解説しています。


過去を塗り替えるのは未来の侵略のため
ディスカウント・ジャパンは侵略の布石

戦闘はなくても戦争はある
「歴史修正主義」と異論を封じる人は侵略者の手先となって戦闘を呼び込む人だ

参考
DIAMONDonline
『戦後70年の今年、中国が仕掛けてくる“罠”』 北野幸伯
http://diamond.jp/articles/-/66110
(内容は大体似たような) 

(´・ω・`)大虐殺あった・なかった
大虐殺派・中虐殺派・なかった派
という論争をする以前にまず踏まえておくべきことでは?


【youtube】南京大虐殺 研究について(その3) 松尾一郎  (第4回)

(要約)
「南京大虐殺」という言葉は
中国語の南京大屠殺という言葉の翻訳ということになっているのだが
中国語の大屠殺の意味は「殺し尽くす」ということ

明朝に南京近くにあった「揚州」という町
中国の町は全て城壁に囲まれていて敵が攻めて来た時には門を閉じて籠城する
水、食糧がなくなってくると一般市民を殺して人肉を食べる
それを屠城と呼び、中国の歴史の中で繰り返されてきた

『揚州十日記』(1645年に80万人を殺戮した話)という本
清が明に攻めて来た時に降伏勧告をしたが拒否門を閉ざし籠城した(=屠城)
降伏勧告を受け入れ城を明け渡した場合はそれなりの処遇で済むのだが
降伏勧告を受け入れず屠城した場合は城内の生きとし生けるもの全て(家畜、犬猫含)殺される
10日間に人を埋め首をはね、80万人を殺した
「屠殺」という言葉にはそういう意味がある

1937年12月10日日本軍は降伏勧告するも防衛軍司令官の唐生智は拒否した
よって中国人が屠殺(=殺し尽くされる)が行われたと信じ込んでも不思議ではない
中華思想の中国人にとって日本人は「東夷」(東の野蛮人)、「倭人」(弱々しい人)
そのような日本人が皆殺しをしないはずがない
という意識に刷り込まれたのが「南京大屠殺」

「大屠殺」=殺し尽くすである以上根拠がなくても30万人説を信じるのはそういう背景がある
(むしろ数が足りないくらい)

日本で「南京大虐殺」という言葉が使われるようになったのは
朝日新聞・本多勝一記者『中国の旅』
「南京大虐殺」という言葉にすり替えられてしまったため日本人は「大屠殺」という言葉の本質的な意味を理解していない
幕府山の戦いで数千人殺した等と言う話は中国人にとってはどうでもよい話
南京に於いて数万人単位の皆殺しがあったという既成事実が重要
国際法違反や便衣兵(ゲリラ)の処刑などは関心がない
軍兵が軍服を脱いで便衣(一般人の服装)をするのはハーグ陸戦法規違反
例えば、ナチス親衛隊が逃げ込んでその場で処刑される画像があるが国際法で問題はない
これらのことは南京大屠殺には関係ない
中国が言い出した「南京大屠殺」を「南京大虐殺」にすり替え話を矮小化し日本国内で論争しているのは大変おかしなことでポイントがズレている
現在の日本の虐殺肯定派は中国側の主張を無視し続けているのが現状

城内で30万人が中国の定義
南京大虐殺ないわ(゚∀゚) と思ったキッカケ
ってこういう意味だったのね

東洋文庫 36
『蜀碧・嘉定屠城紀略・揚州十日記』(彭遵泗、朱子素、王秀楚著、松枝茂夫訳)



「虐殺=正義」というカラクリ
中国・明代末の虐殺の記録


 〈四川の人間はまだ死に尽くしておらぬのか。おれが手にいれたのだから、おれが滅ぼしてしまうのだ。ただのひとりでも他人のために残しておきはせぬぞ〉

 小説の中の台詞ではない。中国は明代末、反乱軍の首領・張献忠(のちの大西国皇帝)の吐いた言葉だ。
 『蜀碧・嘉定屠城紀略(かていとじょうきりゃく)・揚州十日記』に収録されている「蜀碧」は、献忠の反乱の模様を記録したものだが、描かれているのは“虐殺”そのものである。
 〈ある夜のこと、静かで何もすることがなかった。すると彼(献忠)は突然、「今夜は誰も殺すべき奴はおらんのか」といいだして、とうとう自分の妻と愛妾数十人を殺すよう命じ、たったひとりの子までも殺してしまった〉
 虐殺方法にも献忠はこだわった。
「鉋奴(ほうど)」……〈手足を斬り落す〉
「辺地(へんち)」……〈背筋で真二つに斬り離す〉
「雪鰍(せっしゅう)」……〈空中で背中を槍で突き通す〉
「貫戯(かんぎ)」……〈子供 たちを火の城で囲んで炙り殺す〉
 しかしこうした“残虐性”を、張献忠のパーソナリティのせいにしてはいけない。「嘉定屠城紀略」と「揚州十日記」は、清軍による虐殺の記録を被害者側から記した書だが、その中にこうある。
 〈清兵が鎮(まち)にはいって来たとき、人々はまだ起きていなかったので、彼らはほしいままに屠殺を行ない、流血は踝(くるぶし)を没するほどであった〉(「嘉定屠城紀略」)
(南京大虐殺で腰まで死体で埋まって血の海だったという話を髣髴と・・)
 反乱であろうが、革命であろうが、いわば「戦争」である。戦争とは人殺しであり、虐殺は正義なのである。
  虐殺=正義などと断言すれば、「そんなはずはない」という反論もあるだろう。しかし考えてみてほしい。戦争とは、〈政治的意思を貫徹するためにとる最終的 かつ暴力的手段〉(ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」)なのだ。敵兵を多く殺せば、英雄となり、勲章がもらえる(張献忠の軍でも、人を殺した数で昇進が 決まったという)。
 道元(曹洞宗開祖)はこんな言葉を残している。
 〈善悪は時なり、時は善悪にあらず〉(「正法眼蔵」)
 善悪は「時代」が創るのだ。戦争の時代には虐殺もまた善となる。本書を読んで、深いため息のもとこの言葉を実感した。われわれもまた、「時代」によっては「虐殺=正義」を生きねばならぬかも知れないのだ。
 「戦争の時代」にしてはならない。これよりほかに、自分の信じる正義を守る術はないのである。
https://japanknowledge.com/articles/blogtoyo/entry.html?entryid=197 

参考
次は「南京大虐殺」だ!本多勝一がキャプション誤用を認める 
じゃぁ中国軍ってどんなだったの? ←読んでびっくり中国軍

基地村の古い記事(´・ω・`)

【社説】国際的な恥、韓国の売買春

 韓国の風俗街は無法地帯なのか。東豆川(トンドゥチョン)基地村周辺の米軍クラブに閉じ込められ、売春を強いられたというフィリピン女性が書いた日記は、監禁、暴行、監視、中絶、飢えなど、人間以下の扱いを受け、踏みにじられた生活が生々しく書かれており、思わず目をそらしてしまうほどだ。

 今年はじめ、群山(クンサン)で鉄格子に閉じ込められ売春を強いられていた韓国人女性15人が焼死するという悲劇があったが、今回の事件は売買春女性の人権擁護を掲げながら、看板倒れに終わったことを物語る。

 11人の被害女性の代わりにフィリピン政府が損害賠償訴訟を推進しており、すでに国際人権機構である国際移住機構(IOM)ソウル本部は、東豆川地域の外国人女性の人身売買に関する実態調査を行い、スイスのジュネーブ本部に報告したという。

  90年代半ば以後、韓国に売られ性の奴隷と化したロシア、フィリピン出身の女性が5千人以上に達しており、京畿道(キョンギド)米軍基地村の風俗業界に従 事する外国人女性が1999年の38%から昨年は75%に増えたという民間報告が相次いでいる。にもかかわらず、手をこまぬいていた政府の無関心が、国際 的な恥を自ら招いたといえよう。 

 売買春は厳然たる不法行為である。しかし、韓国社会では必要悪という認識もあり、見せ掛けだけの取り締まりが行われてきたのが事実だ。

  今からでも監督当局は徹底した取り締まりを行い、人身売買や売春女性の人権侵害行為への姿勢を確固たるものにしなければなるまい。同時に、国際人身売買組 織の窓口として悪用されているという疑いのある芸術興行分野の就職ビザ、E-6ビザの管理を厳しくするよう、関係当局に注意を呼びかけるべきだ。 

 米国では人身売買組織による性売買被害者に3年間の滞在を認めている。韓国も人身売買された外国人女性に憩いの場を提供し、法律面で支援するなど、支援策作りを通じて、傷つけられた女性がこれ以上韓国を「地獄のような国」と思わないよう配慮すべきだ。
中央日報2002.10.18
http://japanese.joins.com/article/402/33402.html?servcode=100&sectcode=100


性交渉強要されたフィリピン女性に勝訴判決
 昨年、在韓米軍基地村のクラブに監禁され、性交渉を強要されたフィリピン女性らが、国内事業主を相手取った損害賠償請求訴訟で、裁判所が事業主の責任を認めた強制調整決定を下した。

 この訴訟はフィリピン大使館が主導したもので、外国政府が自国の売春女性の人権侵害に対し、法的対処した初の事例となる。

  ソウル地裁・議政府(ウィジョンブ)支院民事合意1部は30日、京畿道東豆川(キョンギド・トンドゥチョン)米軍基地村クラブに監禁され、性交渉を強要さ れたフィリピン女性11人が事業主の朴(パク)某氏ら3人を相手取った損害賠償請求で、「1人当たり400万(39万円)~600万ウォンを支給せよ」と いう強制調整決定を下した。

 裁判所は「朴氏らが、フィリピン女性を監禁・暴行し、売春を強要したことで、拭い去ることのできない精神的苦痛を与えた点が認められる」とし「賠償額は原告が多数である点と、フィリピンの所得水準などを勘案して決定した」と明らかにしている。
中央日報2003.5.30
http://japanese.joins.com/article/703/40703.html?servcode=400&sectcode=400

随分前の記事なんだけど今もあんまり変わってないみたいな

米軍慰安婦 韓国女性に代わりフィリピン女性がサービス提供

 元米軍慰安婦122人が韓国政府を集団提訴したことでクローズアップされた韓国の「基地村(売春街)」問題。この問題が、日本軍による強制連行をでっちあげ、国際社会に慰安婦問題を喧伝してきた朴槿恵(パク・クネ)政権にとって大きな頭痛の種となっている。今後、韓国政府が関与を認めれば国際世論の非難を浴びるだけでなく、重要な対日カードを失うことになるからだ。

 国家主導で行なわれてきた管理売春の実態を京畿道・東豆川に今も残る「基地村」でホステスとして働くフィリピン人女性の証言などをもとに韓国在住ジャーナリスト・藤原修平氏がリポートする。

 * * *

  1950~1953年の朝鮮戦争時代に作られた基地村は、休戦後も在韓米軍向けの売春窟として存続し、韓国政府の貴重な外貨稼ぎの手段となった。韓国政府 はこれまで政府の関与を認めていなかったが、昨年、基地村管理の指針を示す朴正煕(パク・チョンヒ)大統領(朴槿恵氏の父)の署名入り書類が公開されたこ とで、国の関与が決定的となった。 東豆川は在韓米軍基地がある以外、これといった特色のない町だが、基地村のある地域は「アメリカ通り」と呼ばれ、外国 人観光特区に指定されている。立ち並ぶ外国人専用のナイトクラブはどの店もアメリカの田舎町にあるバーのような雰囲気で、酒を呷(あお)りながらホステス と談笑したり、ビリヤードやダーツに興じる米兵の姿があった。

 東豆川の基地村では、1992年に在韓米兵による韓国人ホ ステス虐殺事件が発生している。古くから飲食店を営む男性経営者によれば、「事件を機に基地村で働く韓国人ホステスは減少し、代わりにロシア人やフィリピ ン人が入って来た。以前はクラブを介した売春が盛んだったが、3年ほど前に米軍が取り締まりを強化してからはほとんどない」という。

 だが、本誌記者は複数のナイトクラブで今も露骨な性的サービスが行なわれていることを確認した。ある店ではカウンター席に着くと、5分も経たないうちにホステスから「Buy me drink」と飲み物をねだられた。

  ホステスに飲み物を奢れば30分間、会話ができるシステムで、料金はワンショットのテキーラが2万ウォン(約2000円)、ビールの小瓶が6万ウォン(約 6000円)と高額だ。ホステスは、別途4万ウォン(約4000円)で密着サービスが受けられるテーブル席の利用をしきりに促す。

 暗がりのテーブル席では、別のホステスが米兵の股間部に跨り、過激な行為に及んでいた。米兵がチップを弾むと行為はさらにエスカレートしていく。店内での売春行為は確認できなかったが、常連の米兵がお気に入りのホステスを店外に連れ出すことは珍しくないという。

 実際、記者はクラブホステスが軍服姿の米兵と基地村のモーテルに入る現場を目撃している。

 彼女たちの大半はフィリピン女性「芸能ビザ」で就労しているという。ホステスの1人が本音を漏らす。「私は歌手として来たのに、客にお酒を飲ませて利益を上げることばかり求められる。売り上げが悪ければオーナーに怒られるから、嫌でも性的サービスをしてお金を使ってもらうしかない」

 ホステスの月給は日本円で約5万円前後で、一般的な韓国人サラリーマンの平均月収の4分の1に満たない。 韓国への渡航費用や業者の仲介料は店が立て替えるケースが多く、返済分が天引きされれば手元にはほとんど残らないそうだ。「ホステスへの暴力や性的サービ スの強要は根絶されず、逃亡を防ぐため店側が金銭やパスポートを管理するケースも多い。ここ数年、基地村での外国人ホステスの人権侵害が問題視されるよう になり米軍が取り締まりを強化したのは事実だが、本質はまったく変わらない」(韓国紙記者)

 本誌取材中も米軍のMP(憲兵)が基地村を見回っていたが、ホステスたちは、「基地村で韓国の警察は1度も見たことがない。MPと一緒に回っているのは(司法権限のない)保安要員」と話していた。

 ここ数年、基地村での売買春は減りつつあるが、それは韓国政府の努力によるものではない。米兵の犯罪増加で米軍が取り締まりを強化したからだ。韓国政府は外貨獲得のため、長らく基地村での売春行為を黙認、放置してきた。現在では韓国人女性に代わり、フィリピン女性が「米軍慰安婦」として米兵相手の性的サービスを強いられている。

 韓国政府が主導した米軍慰安婦制度は、多くの「性奴隷」を生み出した。朴槿恵大統領は基地村に慰安婦像を設置し、父が関与した恥ずべき国策を懺悔するべきではないか。
※SAPIO2014年9月号
NEWSポストセブン20147.8.14
http://www.news-postseven.com/archives/20140811_269703.html

参考
朝日新聞の誤報取り消しから一年 
週刊新潮・ならば青瓦台に「米軍慰安婦の像」を! 
米軍慰安婦「洋公主」と基地村

産経前ソウル支局長無罪判決 続き

毎度毎度のウリは悪くないニダ キター(゚∀゚)ーー!
朝鮮論法とは
【萬物相】誤報を恥じない「言論の自由の闘士」産経前ソウル支局長
朝鮮日報加藤達也記者無罪

 記者がスクープ報道で名をはせたケースは多いが、虚偽の報道で 有名になるのはあまり見たことがない。そうした事例として例に挙げるべきなのが産経新聞の加藤達也前ソウル支局長だ。昨年8月に「朴槿恵(パク・クンヘ) 大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?」という記事を書いたことや、その後の検察の捜査で彼は日本で一躍スターダムにのし上がった。その 記事は貨客船「セウォル号」沈没事故があった日の朴大統領の行動を巧みにスキャンダルと結び付けたものだった。

 この時、朴大統領は大統 領府にいて、加藤前支局長がスキャンダルの相手と名指ししたチョン・ユンフェ氏も別の人物と会っていたことが確認された。それでも日本の政界や右翼系メ ディアは彼を「言論の自由の闘士」扱いした。反韓感情をあおるには絶好の材料だった。安倍晋三首相は彼を官邸に呼び、いたわった。名誉毀損(きそん)の疑 いで在宅起訴され、8カ月間出国を停止された後、日本に帰国した直後だった。産経新聞は彼の帰国を報道するのに1面の3分の2を割いた。

 産経新聞は加藤前支局長の記事が事実でないことが明らかになったのにもかかわらず、謝罪はおろか訂正報道すらしていない。 電子版の記事も削除せずにそのまま掲載されている。それどころか紙面を通じて「韓国は言論弾圧国だ」という主張ばかり繰り返した。朝日新聞が32年前の慰 安婦関連記事について裏付ける証拠がないとして記事を取り消すと、「誤報に対する真摯(しんし)な謝罪がない」と批判したのは産経新聞だ。そう言いながら 自分たちの誤報には目をつぶっている。記者にとって誤報は致命的なのにもかかわらず、恥とも思っていない。

 市民団体の告発があったとはいえ、検察がこの問題を起訴まで引っ張っていったことで口実を与えてしまった面もある。検察は告発があれば捜査しなければならない。しかし、この事件は単なる名誉毀損ではなかった。言論の自由に関する問題や外交問題に飛び火する余地が少なからずあった。 予想通り、虚偽報道そのものよりも加藤前支局長を処罰するかどうかや韓日対立ばかりが取りざたされた。その揚げ句に昨日の一審判決までもが「記事は不適切 な点があるが、言論の自由の保護領域に含まれる」として無罪を言い渡した。得たものはなく、失ったものばかりが多い「愚かな起訴」だった。
(少なからず?)

  これで加藤前支局長と産経新聞は無罪判決を後ろ盾に「言論の自由の闘士」の看板を掲げるだろう。しかし、裁判所が無罪判決を下したのは報道が事実だからで はない。「ひぼうの意図は認められない」という判決に過ぎないのだ。裁判所はすでに裁判途中で虚偽報道であることを明らかにし、加藤前支局長自身も「異議 を申し立てる考えはない」と述べていた。この事例は、低俗な報道には法という物差しで測るよりも公論の場で実体が明らかになるようにした方が得策だという 教訓を残した。そうでなければ最初から無視するべきだ。そうしていたら加藤前支局長は絶対に言論の自由をうんぬんできなかっただろう。

崔源奎(チェ・ウォンギュ)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2045.12.18
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/12/18/2015121800698.html

「誤報」書いたのは朝鮮日報だし、この記事も「誤報」だよね
どうせなら洋公主(米軍慰安婦)の記事が誤報かどうか検証したらどうかぬ?

【本紙前ソウル支局長無罪】
「検察は初めから起訴を思いとどまるべきだった」 会見冒頭発言
産経加藤達也韓国会見

 産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が17日、無罪判決後にソウル外信記者クラブで会見した際の冒頭発言は次の通り。

 ◇

 ソウル中央地裁でさきほど無罪という判決が示されました。これは当然の判決であって、特別に感慨を抱くことはありません。韓国の検察当局においては控訴することなく、本件を終結させることを希望します。

 昨年8月以来、韓国において検察による取り調べを受け、起訴に至るまでの経緯を振り返りたいと思います。私を告発した右翼団体、これは外国特派員が出身国の読者に向けて自分の国の言語で発信したコラムを、それが書かれた言葉で正確に読むことはできずに嫌悪して、「産経新聞は悪である」と決めつけていました。この事実は告発団体の代表者が法廷において自ら証言していました。

 検察は、この右翼団体の告発を待っていたように取り調べを始め、名誉毀損だと決めつけて起訴しました。ここまでの一連の出来事、これについても政権の顔色を検察がうかがったのではないかという疑念が広く持たれているところです。

 さらに今回の問題について、捜査段階から不公平に進行されてきたのではないかという認識を持っていることも指摘しておきます。私が書いたコラムの趣旨に悪意の「解釈」を付け加えて韓国語に翻訳し、韓国で読まれているネットに掲載した媒体が書いたコラム、翻訳版のコラムです。この媒体については私と同時に告発をされたのですが、検察庁においては途中で捜査を打ち切ったかのごとく、その後何も決着をつけずに今に至っています。

 このことから、私は検察が日本の産経新聞の記者である私を、悪意を持って狙い撃ちにしたのではないか、そのように疑念に思っていました。検察にはこのことを改めて問いただしたいと思っています。

 問題があるとされたコラムについては、力を持たない市井の個人を取り上げたものではありません。一国の最高権力者の重大事故の当日の動静について題材としたものです。公益性の大きさがあることはそもそも明らかなのであって、検察は初めから起訴を思いとどまるべきでした。

 公人中の公人である大統領に関する記事が気に入らないとして起訴する構図。この在り方は近代的な民主主義国家の姿としてどうなのでしょうか。いまいちど考えてもらいたいと思います。

 一方、韓国については、判決公判の直前に激励をしてくれた韓国人の人間もおりました。およそ四半世紀にわたって私は韓国とつきあってきたわけですが、その経験を通じて理解してきた韓国の姿を、友人たちとの経験によって思いだしました。

 今回の判決については受け入れがたい判断が示された部分も含んでいます。しかしながら、韓国の検察においてはこの無罪という結果を率直に受け入れ、控訴することなく、今後私をこのまま自由の身にすべきではないかと考えております。
産経ニュース2015.12.18
http://www.sankei.com/affairs/news/151218/afr1512180002-n1.html
(そもそも加藤達也氏の記事は正確に翻訳されたのではなかったのですね・・・)


【本紙前ソウル支局長無罪】
検察は「有罪にするという強い意志を持った取り調べだった」 会見一問一答

 無罪判決を受け、ソウル外信記者クラブで会見した産経新聞の加藤達也前ソウル支局長の主な発言は次の通り。

  加藤氏「公人中の公人である大統領に関する記事が気に入らないとして起訴する構図。この在り方は近代的な民主主義国家の姿としてどうなのだろうか。いまい ちど考えてもらいたいと思う。今回の判決については受け入れがたい判断が示された部分も含んでいる。しかしながら、韓国の検察においてはこの無罪という結 果を率直に受け入れ、控訴することなく、今後私をこのまま自由の身にすべきではないかと考えている」
 --無罪判決を予想していたか
 加藤氏「事前に弁護士を含めて検討会を何度か開いたが、無罪という判決については、主任弁護士がもっとも可能性が小さいだろうという認識を示していた」
 --検察の取り調べを受ける中で、理解できなかったことは
加藤氏「この容疑者は有罪、絶対許さないという構図を固めて、供述を組み立てて有罪にするという強い意志、この意志を持った取り調べだということが非常に強く印象に残っている」
産経ニュース2015.12.18
http://www.sankei.com/entertainments/news/151218/ent1512180003-n1.html
 
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